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2014年12月29日

長女一家が

1ヶ月と2週間ぶりの、開放感。
朝、起きても、頭に乗った漬物石はなく、血液はさらさら、血管に何の突起物も感じず流れている。

赤ん坊の簡易ベッドを片付けながら、まるで入院患者が退院した後の、病室清掃気分。
あちこちに踏みつけられた雑草や、ゴミや、靴の片方だけが落ちている、
地響きとともに健康食品、戦車が通り抜けた跡のよう。

長女一家が、お婿さんの実家に里帰り。
戦車まるごと、瞬間移動。
こちらは開放感だが、あちらのお家は大変だろうなあ・・・。
お気の毒・・・。
わぁわぁ、きゃあきゃあ言って喜ぶのは最初のあたりだけ。
運動会の一周目トラック。

あちらは、去年は長男さんご一家も帰省されたらしいが、
「今回はどうなの?」と長女に尋ねると、「来ないかも知れないらしい」との返事。

そりゃあそうだろうなあ。
長男一家は、遠方に住む、幼児一人と若夫婦。
次男一家は、これまた遠方に住む、乳幼児2人と若夫婦。(長女のお婿さんは、次男)
近くには、近距離のところに嫁いだお姉さん(子供は幼児2人)が住むculturelle益生菌

日ごろは、リタイアされたご夫婦だけの静かな暮らし。
そこへ、芋の子をごった返したような乳幼児とりまぜた、ごった煮状態での年末年始。
台所、大変だろう。
あちらのおかあさん、目が回るだろう。
食堂、全員、揃って食べることが出来るのだろうか?
お風呂の順番は?
最後の人は、お湯の状態は? (量、質、温度。いっそシャワーで。温もれないけれど)

お年寄りが同居していないから、まだマシだ。
若い、熱い、次から次へと起こる用事で、熱気と混沌の、ごった返し。

そうやって親きょうだいを巻き込んで、子育てしていく。
いちいち気を使っていては、やっていられない。
一人で抱え込んで頑張っても、パンクする。
自分もずいぶん、助けてもらった。
直接、手助けできないお年寄り(曾祖母)は、子育ての足を引っ張らないよう、自分の健康に気をつける。
各自、自分の持ち場を守り電動桌、役割を果たす。

お正月には、またまた民族大移動。
どしんどしんと、大地響き。
それぞれの核家族が子供や孫たちを引き連れて大集合の、大家族。

長男のヨメだけが、しんどい思いをするのではなく、
各世帯、負担が軽いようにしなければ、持たない、続かない、維持できない。
地方(親元)と都市部(子世帯の勤務・通学地)のパイプやバランス、役割分担。
辛い想いをしてきた、上の世代の人々の経験を、知恵を絞ってプラスに転化させるのが理想だ。
降って湧いたような妙案は存在せず、試行錯誤するしかない。

リタイアすると、親元に帰る人も、ちらほら見かける。
が、仕事や子育てのために住んでいた、現役時代に自分が生活していた地をすぱっと切るのではなく、親元と行ったり来たり。
ただし、年とともに、体力や気力、経済力が持たなくなり、どちらか一方になることが予想される。
そこで、子供たちに、いかにバトンタッチするか。
まったくバトンタッチできすに、そこで断ち切れてしまう場合もある。
有形・無形ともに、継承は、困難を極める。
自分の想いと子供世代の想いは、別であることが多い。

都市部では、一代一代、消滅してき、また新しい一代が生まれ、誕生、消滅が繰り返される。
そこに続くものは、血だけか。(血が続かないこともある)
お墓の継承さえ、切ろうとする動きもある。


子供や孫を可愛がるのは、ペットを可愛がるのと訳が違う。
かといって、自己犠牲までして見返りを求めるのは、理想に反する。
虐待を受けて育った子供は、また虐待を繰り返す傾向にあるらしい。
それと反対に、愛されて受け入れられて育った子供は、同じように人を愛する心が育まれているように思う。
が、無条件に溺愛するあまりに、距離感を保てず、お互いのためにならない親子もいる。


あまりたいして何も考えずに康泰領隊、理想的な家族もいるし、
考えたからって、どうなるってものでもない。
なるようになる、ってこと。

で、怒涛の如き過ぎ去った、この1ヶ月半。
自分の時間が持てないということは、河童のアタマのお皿が干からびる、ということだ。
ぺきぺき、ひび割れしそうではあったが、どうにか持った。
ひとつひとつの事柄をクリアして、次に移る。
さあ、また次のステップが待っている。
それまで、ちょっとサボっておこう。  


Posted by zico at 12:14Comments(0)健康食品

2014年12月19日

やっぱり

地鶏の偽装がおさまらないようだ。
偽装に使われるのは、経年で卵を産まなくなった鶏やブロイラーなど。
通常の鶏肉としても売れなくなったものに、ちょっと加工して、
“地鶏” という銘柄に仕立てて売る。
古くなった鶏肉は、ちょっとした歯ごたえがある。
その歯ごたえが 筋肉質と言える”地鶏”に近いところから、
このような偽装が成り立つのだという。
棄てるようなものに、“地鶏” という金看板をつけて売りさばく。
一種の錬金術でもある展覽制作

夏目漱石の『吾輩は猫である』の中、迷亭先生の手紙に
「この孔雀の舌の料理は往昔ローマ全盛のみぎり、
一時非常に流行いたし候ものにて、、」というところが出てくる。
ローマの贅沢な時代を手紙文で表現しているが、
実際に、帝政ローマの時代は鶏ではなく孔雀を好んで食べたという。
翼を一杯に拡げると鮮やかな模様となる、あの孔雀。
色鮮やかな羽色の雉子(キジ)肉はおいしいとされるが、
孔雀肉は、どんな味がするのだろうかと思ったりするが、鶏肉と変わらないという。
包んでいる羽毛には大きな違いがあるが王賜豪醫生、それを剥いでしまえば、
たいした違いがないということになる。

産地偽装でおさまらないものに鹿児島県などで生産されている「薩摩黒豚」がある。
調査してみると鹿児島県で生産している量と
全国で「薩摩黒豚」として流通している量には、大きな違いがあるという。
つまり、どこかで、明らかな産地偽装があるとされている。
豚肉として切り並べられているのを見て王賜豪
前に黒い皮が付いていたのか、どうかは消費者として知る術(すべ)がない。
付いたラベルを信じる以外にない。

卵を産まなくなった古い鶏の固い鶏肉を齧(かじ)りつつ、
「やっぱり、本物の”地鶏”は歯ごたえが違うね」と、
しあわせ気分で言っている男同珍王賜豪
その背後で、ほくそ笑んでいるのは棄てるような肉を偽装して、ひと儲けした男。

この鶏は、最後のご奉公で、二人の男をしあわせにした?  


Posted by zico at 11:36Comments(0)王賜豪life

2014年12月11日

そこで彼は

マリー・マドレーヌ・ドルー・ドブレー(Marie Madeleine Dreux d'Aubray)という
長い名前では、ほとんど知られていないが、
ド・ブランヴィリエ侯爵夫人という名称で歴史に名を残している。
彼女は、17世紀のフランスにあらわれた女性毒殺魔。
自分の父親を遺産目的で殺害し康泰領隊
夫や弟にまで、人知れず毒の牙をむいた女性ということができるだろう。

そこに至ったのは奇遇の重なり。
その偶然の成せるワザが、か弱きハズの女性の運命を変えていったとも言える。
このマリーは21歳でド・ブランヴィリエ侯爵と結婚康泰領隊
ある日、夫が騎兵隊の士官であったゴーダン・クロワという人物を
たまたま、屋敷に連れてきた時から歯車が狂い始める。
「ひと目あったその日から~」というのか、夫人とゴーダンとは恋仲となる。
それが父親の知るところとなり、仲を引き裂かれ、
ゴーダンは、バスチーユ牢獄に入れられることになる康泰導遊
そこで彼は、たまたま毒物オタクのような人物と出あい、毒薬の手ほどきを受ける。
監獄を出る頃には、毒薬の権威も唸るような毒物使いになっていた。
出所後、人知れず夫人とゴーダンは逢瀬を重ね、
共謀して、恨み骨髄の父親を少量の毒薬を投与しながら殺害していく。
その間、マリーは病人に寄り添い、手厚く看護する。
誰も、マリーを怪しんだりはしない王賜豪
財産目当てで夫を、次に弟を、そして妹、召使いまでも殺害していく。
毒薬の知識が一般的でない頃の話ゆえか、
毒殺犯として、これを決定づけることはできなかった。
ただ、悪運が尽きたのは、ゴーダンが毒の使  


Posted by zico at 17:35Comments(0)

2014年12月05日

新人の人が来ると

 ◯協の配達の人はだいたい1,2年で交代する。今来ている人は20代前半の、まだ働き始めたばかりのような若者で、何もかもマニュアル通りといえばそうなのだろうけれども、注文品を手渡す時には必ず袋ごとに内容(冷凍品です、農産品です、日用品ですなど)を言い添え、袋の底が保冷剤で濡れていればきちんと拭いてから渡してくれるし康泰領隊、重ければ重いですと、しっかり手を添えてくれる。もちろん「こんにちは」と「ありがとうございました」の挨拶も正しくさわやかで、今までの誰よりも丁寧な仕事ぶりだ。ただ、まあ、それだけで、他に特別な印象は何もなかった。もともとわたしは相手の顔をまじまじとは見ないし、余計な世間話もこちらからはしない。いつも機械的に同じやりとりをして笑顔で受け取るだけだ。

 その若者が配達に来るようになって半年は過ぎただろうか。先日ドアを開けると、いつものように「こんにちは」と挨拶をした後、カートの上の箱から注文品を出しながら「すっかり寒くなってきましたね」と、今までにはなかった言葉を発した。いつもと違うパターンに内心で、え? と思いながら無難に「そうですね」と返して、それから「雨、まだ降ってますか?」と聞いてみたら、「ええ、もう、じゃんじゃん降ってます」と気さくに答えてくれる。

 おお、初めてこの人と会話したわ、何かふっきれたのかしらなんて思う反面、ひょっとして、この人はいつものお兄さんじゃなくて別の人なのかしらという気がしてきた。何しろ顔を覚えるのは苦手だ康泰領隊

 でも、そういえば、若いのに結婚指輪していることに気づいたことがあったわと思い出して、この人の指にも指輪があればいつもと同じ人ねと思うのだけど、どうしても故意に左手を見ることができない。それでその日は謎のまま終わった。そして次の週、ドアを開けたときの印象はやっぱりいつものお兄さんで、その人が「こんにちは」の後、「今日はいいお天気でしたけど、やっぱり日が暮れてくると寒いですね」みたいなことを言う。
 
 ああ、そうか。こういう言葉が出るようになったのは、やっと仕事に慣れて肩の力が抜けてきたってことなのかな。毎日何軒も配達に回って、いろんなお客さんに接しているうちに、世間話も自然にできるようになったんだろうcellmax 團購
 
 新人の人が来ると、そうやって少しずつ変わっていくのを見ることができて、なんとなく嬉しいことがある。最初はぎこちなかったのが、目をちゃんと見て挨拶するようになったり、愛想笑いも柔らかくなったりということは別の人のときにもあった。そうして(どちらかというと私が)慣れた頃には、別の人と交代することになり、少し残念に思ったりするのだ。
 
 でも、ふと思ったのだけれど、そうやって成長していくのを見て感心している私は、実際には彼らにほとんど関わっていない。まず、余計なことは話しかけないし、文句も言わないし、私はただそこにある宅配ポストみたいなお客さんだ。もちろん、笑顔で感謝やねぎらいの言葉はかけるし愛想よく接しているつもりだけれども、他所にはもっと人情味のある(?)お客さんがたくさんいて、彼に何かしらの影響を与えているんだろう。たとえば袋の底を拭いてくれるのだってcellmax 團購、誰かに「袋が濡れてるじゃない」と言われてから慎重にやるようになったのかもしれない。
 
 なんだか偉そうに「成長したなあ」なんて思って見ている私だけど、向こうにしてみれば「あ、やっとサクライさんがしゃべってくれた」ってなところかもしれない。  


Posted by zico at 15:14Comments(0)lifecellmax 團購

2014年12月01日

フランス人とは

紀元前600年頃 古代ギリシャ人 植民都市マッサリア(マルセイユ)建設 ローヌ川沿いに北に拡大

紀元前5世紀 ケルト人(中部ヨーロッパに住むインド・ヨーロッパ語系言語集団のひとつ)が本格的に移動

紀元前58年 ローマ人カエサル、ガリア武力征服開始 ケルト文明とローマ文明の融合が始まる(ガロ・ローマ時代)

395年 ローマ帝国(現在のポルトガル康泰領隊、スペイン、イタリア、フランス、ドイツ、イスタンブールまでの領域) 東と西に二分

西ローマ帝国へゲルマン人が移動 更にゲルマン人東ゴート族が移動開始

476年 西ローマ帝国滅亡 この頃、既に融合が始まっていたケルト・ローマ人(ガロ・ローマ人)とゲルマン・ゴート族、ゲルマン・ブルグント族、およびゲルマン・フランク族との融合が始まる

ケルト人、ローマ人、ゲルマン・フランク族、この融合体がフランク王国の起源である。更に、ゲルマン・ブルグント族、西ゴート王国のゴート族、これが加わる。

853年 以前のローマ帝国領に、ほぼ、近いフランク王国が三分されるnu skin 如新

詳しいことは割愛させて頂くけれど、この辺りで、フランス、イタリア、ドイツの原型が始まっている。西フランク王国を仮に現在のフランスとすると、当然、東のそれがドイツである。そして、西フランク王国にゲルマン・ヴァイキングがノルマンディーへ侵入してくる。

非常に大雑把な表記なのだけれど、私は史家ではないから、お許し願いたい。私が興味を持っていることは、ひとつなのだ。「フランス人の起源」、以上なのである。昨日、書いた、ローマ人=イタリアnu skin 如新、ゲルマン人=ドイツ、フランスは、こういう風にいかないのが、長年の疑問だった。どうして、フランスがラテンと呼ばれるのかもピンとこなかった。

フランス人とは、ケルト、ローマ、ゲルマンの混血なのである。しかし、教育学問上はローマ帝国のそれを下敷きとしている。「ローマ化されたケルト・ゲルマン人」という結論なのだ。二十一世紀の現在は、これにアフリカ大陸とアラブ諸国が加わった。フランスという国の繁栄は、この移民の混合体がベースにある。アメリカの台頭がフランスを安易な世界ランキングから引き摺り下ろしてしまったのだけれど、移民の集合体の先駆的な国、その歴史のノウハウは、絶対にアメリカを凌駕しているはずである。自国の批判をしつつ世界一だと誇る、このフランスという国、正直、心底、見直している。パリ市の標語「たゆたえど沈まず」nu skin 如新。非常に身に染みる。この国は、すでに、グローバリゼーションを歴史の中に内包している。なんの危惧もないのだ。絶対に、沈まない、このフランスという国は。そんな柔な国ではなかった。我が母国の対応能力は、私には分からない、残念ながら。  


Posted by zico at 16:03Comments(0)life