2014年12月01日

フランス人とは

紀元前600年頃 古代ギリシャ人 植民都市マッサリア(マルセイユ)建設 ローヌ川沿いに北に拡大

紀元前5世紀 ケルト人(中部ヨーロッパに住むインド・ヨーロッパ語系言語集団のひとつ)が本格的に移動

紀元前58年 ローマ人カエサル、ガリア武力征服開始 ケルト文明とローマ文明の融合が始まる(ガロ・ローマ時代)

395年 ローマ帝国(現在のポルトガル康泰領隊、スペイン、イタリア、フランス、ドイツ、イスタンブールまでの領域) 東と西に二分

西ローマ帝国へゲルマン人が移動 更にゲルマン人東ゴート族が移動開始

476年 西ローマ帝国滅亡 この頃、既に融合が始まっていたケルト・ローマ人(ガロ・ローマ人)とゲルマン・ゴート族、ゲルマン・ブルグント族、およびゲルマン・フランク族との融合が始まる

ケルト人、ローマ人、ゲルマン・フランク族、この融合体がフランク王国の起源である。更に、ゲルマン・ブルグント族、西ゴート王国のゴート族、これが加わる。

853年 以前のローマ帝国領に、ほぼ、近いフランク王国が三分されるnu skin 如新

詳しいことは割愛させて頂くけれど、この辺りで、フランス、イタリア、ドイツの原型が始まっている。西フランク王国を仮に現在のフランスとすると、当然、東のそれがドイツである。そして、西フランク王国にゲルマン・ヴァイキングがノルマンディーへ侵入してくる。

非常に大雑把な表記なのだけれど、私は史家ではないから、お許し願いたい。私が興味を持っていることは、ひとつなのだ。「フランス人の起源」、以上なのである。昨日、書いた、ローマ人=イタリアnu skin 如新、ゲルマン人=ドイツ、フランスは、こういう風にいかないのが、長年の疑問だった。どうして、フランスがラテンと呼ばれるのかもピンとこなかった。

フランス人とは、ケルト、ローマ、ゲルマンの混血なのである。しかし、教育学問上はローマ帝国のそれを下敷きとしている。「ローマ化されたケルト・ゲルマン人」という結論なのだ。二十一世紀の現在は、これにアフリカ大陸とアラブ諸国が加わった。フランスという国の繁栄は、この移民の混合体がベースにある。アメリカの台頭がフランスを安易な世界ランキングから引き摺り下ろしてしまったのだけれど、移民の集合体の先駆的な国、その歴史のノウハウは、絶対にアメリカを凌駕しているはずである。自国の批判をしつつ世界一だと誇る、このフランスという国、正直、心底、見直している。パリ市の標語「たゆたえど沈まず」nu skin 如新。非常に身に染みる。この国は、すでに、グローバリゼーションを歴史の中に内包している。なんの危惧もないのだ。絶対に、沈まない、このフランスという国は。そんな柔な国ではなかった。我が母国の対応能力は、私には分からない、残念ながら。  


Posted by zico at 16:03Comments(0)life