2014年07月08日

そうか

 狭い歩道に覆いかぶさるような角度で、その古い薬局は建っていた。
 薬局だと分かるのは、店先に黒ずんだピンク色のウサギのマスコットが立っていたからだったが、その店に入る人も出てくる人も見たことはなかった。

 たまに、ドリンクの空き瓶のような茶色い小瓶が大量に入ったビニール袋が外に出されていることがあった。ときどき、薄汚れたガラスのドアの向こうでマルチーズが康泰導遊、誰かを待っているかのように外を見ていた。
 
 ある日、反対側の歩道を歩いているときに、いつもは上がっているその店のシャッターが下りているのに気づいた。墨文字の書かれた貼り紙があり、細かい文字までは読めなかったけれど、長い間ありがとうございましたと書いてあるらしいのが分かった。

 そうか、とうとうか、と思いながらその二階を見上げて、曇りガラスの一枚に「調剤室」という消えかかった白い文字があることに初めて気づいた。右側のガラスの方には白いテープで大きくバッテンが描かれていた。
 昭和の香りのする、古い古い店だった。

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 そんなことを書いた日記を、何年か前の過去ログの中にみつけた。同じ道を今もよく通るけれど、取り壊されたその店がどこに建っていたのか、もう分からない。「潮どき」と題したそのテキストを書いたことも私自身が忘れていた。マルチーズは今、どうしているんだろう。
 
 あの時、ぼんやりと思いを馳せたのは康泰旅行團、長いこと開店休業状態だった店がはっきりと閉じられることになった、その「きっかけ」は何だったんだろうかということだった。閉店しますの貼り紙の向こうから、「もう、いいですよね」という、老人の小さなつぶやきが聞こえてくるような気がして、そういった「もう、いいですよね」というものは、私の中にもあるんじゃないかと考えた日記だった。
 
 ゆっくり時間をかけて、店は終わって行ったんだろう。年を重ねるということは、そうやって、じわじわと執着を解いていくことなんじゃないかと最近は実感するようになった。

 何かを一度に丸ごと全部ではなく、要らない執着だけを削ぎ落として行って、最後にその核だけをじぶんに残す。そんな風であれたらどんなにいいだろう。

 さて、「潮どき」というのは、なにかを止めるタイミングでもあれは康泰旅行團、始めるタイミングでもある。ところが、ここを再開するきっかけは一向に掴めず、潮は満ちたり引いたりしながら日ばかりがするすると過ぎた。 

 人には「無理しないで好きなときに書けばいいんだよ」と言うけれど、わたし自身にはどうもそれができないらしい。休んでいれば下書きさえする気にはならない。ONかOFFかのスイッチしかないのだろう。
 
 それなら単純に、ONにしてみよう。

 パチン  
 
 というわけで、
 よろしかったらまた、お立ち寄りください康泰導遊

 わたしの中のマルチーズはまだ、人待ち顔で外を見ています。



Posted by zico at 19:59│Comments(0)
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