2014年11月25日

私の血液型は

血液型は? ブログネタ:血液型は? 参加中



ブログネタ?

何それ、オイシイの?

状態だった私康泰導遊

初めてブログネタに参加してみます。



私の血液型は、A型です。

まあ…

いつも読んでくださっている方なら、分かりますよね、きっと。

リアルでも、

血液型を間違えられたことはほぼ無いというくらいの「ザ・A型人間」。

それが私です。



真面目で貴重面、融通がきかない、キレイ好き。

多くの人が共通で持っているA型のイメージは、こんなところでしょうか。

実はこれ…

全部当たってます同珍王賜豪

人間の性格は、後天的なものがほとんどだと言いますが、

あながちそうでもないのかもしれません。



ただ、一つだけ誤解を解いておきたいポイントがあるとすれば…

それは「キレイ好き」というところに対してでしょうか。

「キレイ好き」。

それは間違いありません。

間違いありません、が。

自分の部屋は腐海の森状態になっている人がほとんどだと言って良いでしょう。



他の血液型の人からすると、矛盾しているように見えるこの状況。

しかし、A型からすれば矛盾はしていないのです。

A型のみなさんなら、分かりますよね?

そう…

A型の「キレイ好き」は、

公共の場でしか発動しないのです。



A型は秩序を好みます。

カオスな状態が耐えられません。

公共の場では、物事をスムーズに進めるために、率先して掃除や片づけをします。

nuskin 如新

自分の部屋には、自分一人しか居ません。

一人しか居ないので、秩序もなにも関係ないのです。

どこに何があるのか分かれば、充分なのです。



または、

外をキレイにしている反動で、自分のところまでキレイにする気力が起きない。

とか、

完璧主義なので、じっくりと納得の行くまで作業ができる時間がとれない限りは掃除したくない。

とか、

そんな理由もあったりします。



なので、他の血液型の皆さんは、

A型の人の部屋が汚くても、

「えーっ!?A型なのにー!?」

と言わないであげてくださいね。



もっとも、これは他の血液型にも言えることでしょう。

◯型はこれだからnuskin 如新

◯型だからしょうがないよねぇ…

私達は、無意識でこういう言葉を使ってしまいがちですが、

こういう言い方をされると、あまり良い気にはなりません。



「〇型の人は◯◯な人間である」という一般認識。

これは間違いではないですが、また、全てでもありません。

血液型云々の前に、人として、言葉には気をつけたいですね。  


Posted by zico at 18:57Comments(0)life

2014年11月18日

宇宙探査と言えば

太陽系の惑星探査を目的に2機の無人惑星探査機”ボイジャー(Voyager)”
が打ち上げられたのは1977年のこと。
この2機ともに現在も健全に飛行を続け、ボイジャー1号は、
もはや太陽系から脱して
ひたすら、太陽系の外の宇宙を飛び続けている。
このボイジャーには、”ゴールデンレコード” なるものが積み込まれている。
地球外知的生命体によって見つけられ、解読されることを期待して
"The sounds of Earth" という地球上の様々な音や音楽や
英語、日本語など55種類の言語による挨拶、
そのほか、写真、イラストなどが収録されている。
また、地球の音の中には「クジラの歌」も集録されているという。
ザトウクジラなどが歌う歌は、はっきりとした歌声で、
人間の耳にも良く聞こえるという。
クジラには、それぞれ個性的な持ち歌があり、
ときに、得意げに新しい歌を作って披露したりするそうだ。
時には、浅瀬に近いところで旅遊保險
愛を囁くように歌う声が聞こえたりするという。

宇宙探査と言えば、今月の12日、64億キロメートルの距離を飛行した「ロゼット」が
彗星”チュリュモフ・ゲラシメンコ”に着陸機を着地させた。
これに関して、一つ不思議なことがあったそうだ。
それは、この彗星が”歌”を発しているというもの。
探査機がその音を捉え、地球に送信してきた。
それは、明らかに高低差がある「歌」如新集團
この彗星から聞こえてくるもので、まさに、この彗星の「歌」とも言える。
誰が聴くとも知れぬ虚空の宇宙で、この彗星は
悠久の時を過ごしつつ、孤独の曲を人知れず歌い続けていた。
何ともロマン溢れる話だ王賜豪。  


Posted by zico at 11:07Comments(0)

2014年11月10日

と思った

2014/11/08は病院が停電だったため退屈を余儀なくされた。9時半から16時半までただベッドに横になっていると、ネット禁断症状が出そうになる。いつもパソコンモニターを眺めて康泰、ネットに没頭している僕にはパソコンが使えないと生きた心地がしない。

停電で電気がある暮らしのありがたみを感じたもののパソコンが使えずネットができないのは情報が絶たれたことと同じ。たった数時間、病院が停電になっている間に王賜豪、もしか世の中が一変してしまったら僕はどうなるのか、とあり得ること想像してしまった。

退屈というものは不必要なことを想像させて、退屈自体を忘れさせようとする王賜豪。それは睡眠につながり気持ち良く眠りへと誘うことに結びつくのだ。結局、退屈になると退屈をしのぐために眠ってしまうのが僕なんだと2014/11/08の停電で気づいてしまった。

ネットができないとイライラするけれど1年に1回ぐらいは数時間、ネットを絶つのも良いのかな康泰導遊、と思った。とにかく2014/11/08は疲れたな。  


Posted by zico at 18:28Comments(0)life

2014年11月03日

大阪の祖父の

秋は夕やけが美しい。
日が暮れるのも早い。あっという間に夕やけは消えてしまう。
秋の日はつるべ落とし、という古い言葉がある康泰
つるべとは釣瓶のことであり、井戸から水を汲み上げるものだったが、井戸そのものが見かけられなくなった現代では、釣瓶という言葉も死語になりつつある。

大阪の祖父の、古い家の庭には井戸があった。
暗い井戸の底をのぞくと、深いところで水が銀色に光って見えた康泰導遊。そこへ釣瓶の桶を下ろしていく。光の水をかき回すように桶をあやつって水に沈める。重くなった桶を手繰るように持ち上げると、闇の底で光っていた水はただの澄みきった水に変わっているのだった。
ときには水桶の中に落葉が浮いていることもあり、葉っぱは水の光を吸ったように色づいて光っていた。

祖父は無口な人だったから、あまり細かい話をしたことはない。祖父と孫と無口な者どうしでは、なおさら話は進まないのだった。それでも、たまに祖父の家を訪ねることがあると、祖父はまるでぼくの影のように、ぼくの側にいることが多かった。
なにか話をしようと思うのだが、どんな話も話す前にすでに伝わっているようで王賜豪、言葉にならないものがいっぱいあって、それを整理して言葉にすることが、若かったぼくにはできないのだった。

秋の夕焼け鎌を砥げ
そんな言葉も、祖父が発した数少ない言葉のひとつだったかもしれない。祖父は百姓だったから、空の夕やけを見て翌日の稲刈りの準備をしたのだろう王賜豪
井戸もなくなり田んぼもなくなって、いまでは祖父の家もすっかり遠くなってしまったけれど、遠いからこそ夕やけのように、遠くで美しくかがやいて見えることがある。  


Posted by zico at 13:15Comments(0)王賜豪life