2014年07月28日

会いたいなあ

心が静かになるほど、美しい絵。
スタイリッシュなデザイン。

胸に響く言葉。

この「かないくん」はnu skin 如新
先月だったか、日本に帰郷していたサントワさんに
お願いして買って来てもらった絵本。

うわさ通りの良い作品だった。

私がついこういう本を選んでしまうのは、
いつもいつまでも
ヒロヨへの思いが内側にたぷたぷ満ちているから。

ねえ、死んだらどうなるの?

頭の中のヒロヨに何度も問いかける。
先に死んだ方がnu skin 如新
なんとかして教える約束じゃなかったっけ?

本当にまた会えるのかな。
また会えた時、お互いにわかるのかな。

私はもう死ぬことなど怖くないのに、
今でもまだ高所恐怖症なのは、どうしてだろう。

双生児の片方が先に死んでしまった時、
残された者が味わう深い深い喪失感。
…って、きっとこんな感じなのかもしれない。

1年半の時が過ぎても同珍王賜豪
まだヒリヒリするような哀しさ。

私はいつも夢を描いて、目標を胸に抱いて、
明るく前向きに生きているつもりだけど

そこにヒロヨが一緒にいないという事実が
やっぱりいつまで経っても信じられない。

会いたいなあCellmax 科妍美肌再生中心
話がしたいなあ。
おいしいものをシェアして、
大笑いしたいなあ。
ぎゅーっとハグしたいなあ。
  


Posted by zico at 18:10Comments(0)

2014年07月23日

そこで

その昔、『発想の転換』などの言葉が流行したときは、
アイデアに溢れた人が歓迎され、
実際、求人広告に「アイデアマン募集」という表現まであった。

ところが時代が変わり、ホリエモンこと堀江貴文氏が語った言葉に
「今の時代真空袋、アイディアに価値なんかねーよ」
というのがある。
いくら、いい発想やアイデアを出しても、
実現しないものに価値などないという意味になる。
いかに実現するかがカギということ。
それが出来ない おもな理由の一つは、資金力。
金の力がなければ王賜豪醫生、何も始まらないというところだろう。

そこで、アイデア溢れるクリエーターの資金力をカバーする目的で誕生したものが、
”クラウド・ファウンディング(資金調達サイト)” なるもの。
クリエイターが自分のアイデアをウェブ上に掲載し、
みかえりを明らかにして、多くの人から賛同の出資金を募る形になっている。

2009年に誕生した、そんな”クラウド・ファウンディング”の一つである、
アメリカの "Kickstarter" というサイトに辦公室傢俬
オハイオ州の男性、ブラウンさんが、「ポテトサラダを作る」と掲載したところ、
予想をはるかに超える5000ドル(約50万円)の調達に成功したという。

1ドル出資してくれた人には、ポテトサラダの調理実演中に出資者の名前を言ったり、
感謝の言葉をサイト上で贈ったりする。
また、20ドルを出資した人には、ポテトサラダをテーマにした
(趣味としている)自作の英語俳句とサイン入りのマヨネーズ1本を送ることにしたところ、
(ちょっとしたアイデアに過ぎないと思うが如新香港、)
すぐさま反響があらわれ、出資者が殺到し、予定額を遥かにうわまったという。
本人も驚き、「ポテトには私たちの心をひとつにする力がある」
とコメントしている。

多くの賛同を得たのは、ポテトを選んだというアイデア?  


Posted by zico at 19:46Comments(0)

2014年07月16日

実を言うと私は

先月、チャリティーコンサートのために
ハワイを訪れた千里さんと
一緒に食事をする機会が数回あった。

53 By The Seaでのランチや同珍王賜豪
ウィローズでのブッフェディナーや
チャリティーライブの後の居酒屋。

誰でも一緒にご飯を食べながら話をすると、
たちまち距離が縮まる。

私が千里さんにこれほど親近感を覚えたのも
きっと短い期間中に何度も一緒に食事をして
たくさん話ができたおかげだと思う。

実を言うと私は、7年前(千里さんは7年半前!と仰った)
ジュニアが千里さんのライブにゲスト出演するまで
千里さんのことはまったく知らなかった王賜豪主席

しかもそのライブではほとんど千里さんと話をすることもなく
ご飯を一緒に食べるどころか、楽屋でもお会いしなかったので
千里さんがどんな人なのか、さっぱりわからないままだった。

そしてさらに言うとその後も私は、
一度も千里さんの歌を聴いたことがなかった。

だから今回のチャリティーコンサートのPRを
ボランティアでお手伝いすることになっても
私は千里さんのことを、ほとんど何も知らなかった。

プレスリリースを書くために、千里さんの略歴を読み、
どんなヒット曲があったかなど調べたけれど、
実際に千里さんにお会いするまでは同珍王賜豪
彼がどんな人なのか、私にはまったくわからなかった。

千里さんがハワイ入りした日、記者会見のお手伝いをして
インタビューの受け答えをする千里さんを見ていて
私は「ああ、この人は良い人だ~」としみじみ思った。

それから一緒にご飯を食べるたび、
千里さんからいろんなお話を聞かせていただき
「この人は、なんて素敵な人だろう」と感動した。

私は今でも千里さんの昔のヒット曲は知らないけれど、
ジャズピアニストとして、そして人間としての彼の魅力は、
何もかもを捨ててニューヨークでイチから初めたことで
たぶんものすごく磨きがかかって今輝いているのだろうと思う。

音楽が好きで好きでしょうがないことを
全身で表現する千里さん。

さすが関西人…と思わせるおもしろさや
まったくカッコつけない素のままのカッコ悪さのカッコ良さ、
腰の低さ、やさしさ、人間臭さが
音楽からも会話からも溢れ出ていた千里さん。

シャツを汗でビショビショにしながら王賜豪主席
気取ることなく大声で喋る千里さんは
アメリカ人の観客も虜にしていた。

これが彼の「カリスマ性」なのだろう。

私もすっかり千里さんのファンになり、
ジャズアルバム「スプーキーホテル」のCDに
サインまでしていただいた。

ニューヨークに帰ってからさっそくFacebookで
フレンドリクエストを送ってくださった千里さんの
ブログもチェックするようになった私は、
彼のニューヨークでの生活ぶりを垣間みながら
遠くハワイからエールを送っている。

いつかジュニアと一緒に
千里さんのジャズライブを聴きに
ニューヨークへ行こう。  


Posted by zico at 15:26Comments(0)

2014年07月08日

そうか

 狭い歩道に覆いかぶさるような角度で、その古い薬局は建っていた。
 薬局だと分かるのは、店先に黒ずんだピンク色のウサギのマスコットが立っていたからだったが、その店に入る人も出てくる人も見たことはなかった。

 たまに、ドリンクの空き瓶のような茶色い小瓶が大量に入ったビニール袋が外に出されていることがあった。ときどき、薄汚れたガラスのドアの向こうでマルチーズが康泰導遊、誰かを待っているかのように外を見ていた。
 
 ある日、反対側の歩道を歩いているときに、いつもは上がっているその店のシャッターが下りているのに気づいた。墨文字の書かれた貼り紙があり、細かい文字までは読めなかったけれど、長い間ありがとうございましたと書いてあるらしいのが分かった。

 そうか、とうとうか、と思いながらその二階を見上げて、曇りガラスの一枚に「調剤室」という消えかかった白い文字があることに初めて気づいた。右側のガラスの方には白いテープで大きくバッテンが描かれていた。
 昭和の香りのする、古い古い店だった。

--- 
 そんなことを書いた日記を、何年か前の過去ログの中にみつけた。同じ道を今もよく通るけれど、取り壊されたその店がどこに建っていたのか、もう分からない。「潮どき」と題したそのテキストを書いたことも私自身が忘れていた。マルチーズは今、どうしているんだろう。
 
 あの時、ぼんやりと思いを馳せたのは康泰旅行團、長いこと開店休業状態だった店がはっきりと閉じられることになった、その「きっかけ」は何だったんだろうかということだった。閉店しますの貼り紙の向こうから、「もう、いいですよね」という、老人の小さなつぶやきが聞こえてくるような気がして、そういった「もう、いいですよね」というものは、私の中にもあるんじゃないかと考えた日記だった。
 
 ゆっくり時間をかけて、店は終わって行ったんだろう。年を重ねるということは、そうやって、じわじわと執着を解いていくことなんじゃないかと最近は実感するようになった。

 何かを一度に丸ごと全部ではなく、要らない執着だけを削ぎ落として行って、最後にその核だけをじぶんに残す。そんな風であれたらどんなにいいだろう。

 さて、「潮どき」というのは、なにかを止めるタイミングでもあれは康泰旅行團、始めるタイミングでもある。ところが、ここを再開するきっかけは一向に掴めず、潮は満ちたり引いたりしながら日ばかりがするすると過ぎた。 

 人には「無理しないで好きなときに書けばいいんだよ」と言うけれど、わたし自身にはどうもそれができないらしい。休んでいれば下書きさえする気にはならない。ONかOFFかのスイッチしかないのだろう。
 
 それなら単純に、ONにしてみよう。

 パチン  
 
 というわけで、
 よろしかったらまた、お立ち寄りください康泰導遊

 わたしの中のマルチーズはまだ、人待ち顔で外を見ています。  


Posted by zico at 19:59Comments(0)